いちばん好きな人
「コッシー、どうしたの」
村越の短く刈られたこめかみあたりの髪の、ざらりとした感触を確かめながらジーノが問う。
「何か考えごと?今日の君は上の空だ」
瞳を覗き込まれて、村越は思わず目を逸らした。
ジーノの彫りの深い顔に埋め込まれた目には、吸い込まれるような力があって、何もかも見透かされている気がする。
それが時々、村越になんとも言えない後ろめたさをもたらす。
キャンプに入って何日目かの夜、村越の部屋にジーノは遠慮なく入って来た。
ベッドの上の狭苦しい空間に、男二人が折り重なっている。
ジーノとこういうことをするのも、もう何度目かわからない。
男と寝ても気持ち良くなれるものなのだと知ったときには戸惑いもしたが、今はすっかり慣らされてしまった。
ジーノの丁寧な愛撫は、村越が思いもよらなかった快感を呼び覚ます。
底無しの沼へ落ちてしまうのではないかとひやひやしながら、ピッチの上で感じるのとは全く違う興奮を味わううち、
いつの間にかまだ行ったことのない知らない場所に連れて行かれてしまう。
経験したことのない感覚に、村越が怯えながらも応えると、ジーノはわずかに額を汗ばませて緩やかに笑う。
落ちるときは一緒だと、指を絡めて手を握る。
そんな関係は新鮮で、悪くないと思えた。
もっとも、彼がなんでもわかっている顔をすることは、羞恥と苛立ちを呼び起こすこともあるのだけれど。
「そういえばあの新しい監督、君とチームメイトだったことがあるんだってね」
ジーノが話を持ち出したのは、GMの後藤がわざわざイングランドから連れて来た新しい監督だ。
彼が帰ってきたせいで、村越の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
村越にとって達海猛という人間は、憧れのプレイヤーであり、かつての頼もしいチームメイトであり、
そしてチームを棄てた裏切り者だ。
柔軟で自由で、どこまでも見通す目を持っていて、体にも心にも翼があるみたいだ。
どうやったってあんなふうにはなれない。
不敵な笑顔で何を考えているのか知りたくてたまらないのに、村越にはほんのわずかもわからせてくれなかった。
それでも彼がいなくなった後のチームを守ろうと努力してきたけど、帰ってきた彼に認めてはもらえなかった。
別に彼に認めてもらうためにやっていたわけじゃない。
それでも、彼には永遠に手の届かないのだと思い知るたびに、胸を掻き毟って叫びたい気持ちにさせられる。
彼についてどう考えていいのか、自分がどうしたらいいのかわからないから、全部に目を覆いたい。
ジーノがその名前を持ち出したことは、村越を陰鬱な気持ちにさせた。
「なにか言ってよ、コッシー。ね、黙ってたらつまらないよ」
村越の気分が重くなったことをわかっていないはずがないのに、ジーノはおかまいなしの様子だ。
彼の手が再び愛撫のために動き出し、胸元をさ迷ってから、村越の頬を撫でた。
「今日は乗り気じゃないのかな」
「いや・・・」
はっきり言って乗り気ではない。けど、したくないというわけでもない。
ジーノに抱かれたら、ひとときだけでもあの男のことを忘れられるかもしれないという期待がある。
それでもやはり目の前の男に全然集中できていない、それもジーノにはすっかりわかっているのだ。
「コッシーが気分じゃなくてもボクはしたいからさ、今日はお互い、一番好きな人のことを考えてしようか」
ジーノが逃げることを許さないはっきりとした声音で言う。
村越の意識がジーノに向いていないことをわかっていて、意地悪をしているのだ。
なんという男だろう。
不満を吐き出すための唇は、ジーノの絡めとるように激しいキスにふさがれてしまった。
「ちゃんと考えてる?一番好きな人だよ」
ジーノが村越の瞼を手でふさいだ。
姿を見えなくして、その相手のことをしっかり考えろとでもいうのだろう。
一番好きな人だって?
今の自分に、一番だなんて言える人がいるだろうか。
呪いでもかかっているかのように思い浮かぶ、十年も昔の遠い後ろ姿を、村越は何度も振り払おうとした。
絶対に、絶対にあの野郎のことなんか考えない。
だってこの感情は、好き、なんてものじゃない。
「ねえ、その人の名前を呼んでみてよ」
ジーノが村越の足を開き、ゆっくりと中に侵入してくる。
何度経験しても慣れることのない異物感と、すっかり慣れきった快感に体が震える。
機嫌よく残酷な言葉を吐いているけれども、本当に自分が誰か別の名前を呼んだりしたらどうなるのだろう。
倒錯的な感覚がぞくぞくと背中をせりあがってくる。
けれどもやさしく揺さぶられながら、村越の口をついたのは、結局はこの名前だった。
「ジーノ」
名前を呼ばれた男は意外そうに目を細めたが、腰の律動は止まらず、村越が何度も呼ぶうちに二人とも達した。
「ふふ、君は悪い男だなあ」
ジーノのほっそりとした指が村越の肌をすべっていく。
なんでジーノの名前を呼んだりしたのかはわからない。
自分の一番なんて知らない。
けど、脳裏に焼き付いたあの後ろ姿なんか、死んでも呼びたくなかった。
「ジーノ」
もう一度はっきりと名前を呼ぶ。
それでもあの残像が振り切れることはない。
忘れたいのに、忘れられない。
考えたくないのに考えてしまう。
かたく握りこんだ拳で目許を隠した村越に、ジーノはやさしいキスを落とした。
「嘘でもうれしいよ、コッシー」
その夜、並んで眠りについた後、村越がちいさくあの新しい監督の名前をつぶやいたのを、ジーノは聞き逃さなかった。
そして彼の心の癒えない傷に思いを馳せる。
隣で眠る、彼の一番好きな人の名前を思い浮かべながら、ジーノは深い溜め息を吐いた。
2010/5/5
スパコミでお知り合いのかたにこそっと押し付けたペーパーに載せていたおはなしそのAです。
ジノコシです。
王子の愛はもはやアガペーの域なんじゃないのかな!
王子カコイイ!カコイイとムカつく!