Mister, don't be careless!







「それでは今日はここまで。悪いけど体育委員は片付けを頼む」
整列しているとも、していないともいえる生徒たちの一群に村越が言い終わったとき、
ちょうど終業のチャイムが鳴り始めた。
金曜日の六時間目、あともう少しで面倒くさい学校生活の諸々から解放されるとあって、
生徒たちの表情はいつもよりざわついていた。
体育教師としてこの女子校に赴任して二ヶ月が経った。
まだまだ慣れないことだらけだが、生徒たちの表情の些細な変化にも気が付ける程度の余裕はできた。
大学を卒業したばかりの若い男とあって、相変わらず彼女たちに好奇心丸出しの視線は向けられるものの、
今のところはまだ多少からかわれる程度で済んでいる。
ばいばい先生、また来週ね、もうマット運動やだから次の授業バドミントンにしてぇ。
村越に軽く声をかけながら、白い体操着とハーフパンツの若い体が散って行く。
適当に相手をしながら、体育館が空になるのを待つ。
受け持ちの生徒たちが出て行ったら、一旦教員室に戻って、それから清掃の監督だ。
教師の仕事はなんのかんのとやることが多い。
それも、ぴいぴいとうるさい盛りの女子高生たちが相手だから骨が折れる。
全員がいなくなったあと、体育館を見回すと、用具倉庫の扉が開け放してあるのが目についた。
どうせ清掃のときにまた開けるのだけれど、気になって中を覗いた。
そこには体育委員二人のうちの片方、それも村越がなんとなく苦手としているほうが残っていた。
梅雨入り前の、からりと爽やかな暑さの日なのに、今日も彼女は長ジャージの上下を着て、
べつになにをするわけでもなく、マットの上にぺたっと座り込んでいる。
「吉田、早く教室戻れ」
村越が声をかけると、彼女はぱっと顔を上げた。
「やだなあ、ジーノって呼んでくれなきゃ」
小首を傾げながら言う。
イタリア人とのハーフだかなんだかだけあって、そんな仕草にもなんともいえない雰囲気がある。
子供がいきがっているようにしか見えない、と同時になにか背筋がざわりとするのを感じた。
「……ジーノ。ホームルーム始まっちまうぞ」
「いいよそんなの。それよりさ、コッシーと話がしたいな」
村越が彼女を苦手としているのはこういうところだ。
独特の空気の持ち主で、他の生徒が好奇心と少しの恐れを持って村越を見るのとはちがう色の目でこちらを窺ってくる。
こういう年頃の女の子には、男の自分には理解できない不思議がたくさんあるが、それも歳を経れば薄れていくはずのものだ。
けれともジーノは根本から噛みあわないような気がして、
何かちがう言葉を使っているような通じなさ、歯がゆさが村越を不安にさせた。
ともすれば食われてしまいそうな気がすると思うのは、少々過敏になりすぎているだろうか。
「おれは職員室にもどるぞ」
「つれないなあ。遊んでよコッシー」
ジーノが不満げに目を細めると、長い下まつげが際立った。
化粧をしているわけでもない天然のそれは、ジーノの目元を鮮やかに彩っている。
「いいから、立ちなさい。それで教室に帰れ」
苦手意識を表に出さないよう、注意深く村越は教師の声を作る。
ジーノは、えー、と不服そうにしている。
「疲れちゃって立てないよ、マット重いんだもの。コッシーが起こしてよ」
ジーノが白く細い腕を差し伸べるので、村越は仕方なくその手を取った。
力を込めるより一瞬早く、ジーノが村越の腕を引く。
不意打ちにバランスを崩した村越は、ジーノの上に倒れこんだ。
しまった、と思うと同時に、甘い、花のような香りがした。
ジーノのにおいだ。
「やだぁ、コッシー大丈夫?」
すぐに体を離そうとしたのに、既にジーノの腕が首に絡みついている。
笑いを含んだ柔らかい声が耳もとをくすぐる。
力が抜けて、うまくふりほどけない。
「……おい、なに考えてる」
「ん?コッシーのことかな」
「そうじゃなくて……離せ」
「えー、やだ」
調子に乗ったらしいジーノは、さらに足まで絡めてきた。
力なら自分のほうが強いから、いくらでも振り払えるはずだ。
けど、ジーノの体は少しでも乱暴にしたら壊れてしまいそうに華奢で、そうすることを躊躇ってしまう。
いくらなんでも子供にからかわれたくらいで暴力を振るうのはまずい。
「ね、コッシーってやっぱりおっきいんだね。体重たいし、ボクの腕いっぱい伸ばさなきゃ届かないよ」
「重たいなら離せ」
「えー?」
ジーノが可笑しそうにくすくす笑うのが、耳からだけでなく、重なった全身から伝わってくる。
やわらかい体を押しつぶしているのが気まずくて、とりあえずマットに肘をついて体重を支える。
なんとか体を離したいけれど、ジーノのほうもきつくしがみついてきている。
目の前のこの困った生徒ときたら、何を考えているのかさっぱりわからなかった。
「お前は何がしたいんだ」
「んー、コッシーとくっつきたかった、かな」
「もう充分だろ。離せ」
「やだ。さっきからコッシー、離せしか言ってないよ」
ジーノはそう言うと、村越の首筋に顔を埋めた。
生温かくぬめった感触があったのは、たぶんジーノに舐められたからだ。
次いで噛み付かれ、村越は本格的に焦りはじめた。
「ちょっ・・・やめ、離せ!」
「コッシーがボクとステディな関係になるって約束してくれるなら離してあげてもいいけど」
ジーノの手が首のあたりから下っていき、するすると背中を撫でてゆく。
ぞっとする感覚が全身を駆け抜け、いやな汗が噴き出す。
けれどもこれはチャンスだった。
力が緩んだ隙に彼女の腕の中から逃げ出すと、ジーノはまた面白そうに目を光らせた。
「あーあ、逃げられちゃった」
よいしょ、とジーノが体を起こす。
ジーノは相変わらず何を考えているのかわからないけれど、年上の男を困らせて楽しかったのか、機嫌よさそうにしていた。
別に何をされたわけでもないけれど、村越は脇や首にいやな汗をかいているのを感じた。
むしろ離れられてほったしたら、急に心臓がうるさくなってきたくらいだ。
目の前の生徒を、心底苦手、というかもう相手をしたくないと思った。
やわらかな体の感触がちょっと気持ちよかったなんていうのは認めない。
「しょうがないから今日は言うこと聞いて帰ってあげる。またね、コッシー」
呆然とする村越を体育倉庫に残し、ジーノは飄々とそこを出て行った。
もう二度と、彼女とは二人きりになりたくないと村越は心の底から思った。








2010/6/25の日記より
二重否定のタイトルですね。