てんばつ







石神が交通事故に遭ったと聞いたとき、堀田は天罰があたったのだと思った。堀田のことをたいして好きでもないくせに、都合のいいときだけかわいいとか好きだとか言って部屋に押し掛けてきて堀田を抱いた。その前の日だって、堀田の身体を散々好きにいじくりまわしたあと、汚れた身体を拭う堀田にまったく興味なさそうに携帯をいじっていた。そういう石神を神様が見ていて、こらしめるつもりで危ない目に遭わせたのだ。

けれども実際に詳しい容体を聞いたら、そんなことはとてもとても思えなくなった。昏睡状態のまま目を開かない。どういうわけだかもわからない。天罰なんてちらりとでも思った自分を激しく後悔した。堀田は毎日こっそり病院に通ったのだけれども、ちっとも良くなる様子はなく、目を開かないみたいだった。

はじめのころ、石神の病室には、入れ替わり立ち替わり、いろいろな人たちがお見舞いに来ていた。どうせ意識がないのだから意味はないのに、彼の家族や、チームのフロント、選手、それから学生時代の友人まで、さまざまな人が訪れたようだった。花束や果物は、彼の目に触れることもなく枯れたり腐ったりしてゴミ箱に捨てられた。やがて彼を訪れる人はほとんどいなくなったけれども、堀田は毎日通っていた。

目を閉じている石神はいい。堀田に理不尽な意地悪を言ったり、からかって恥ずかしがらせたりしない。激しいキスのあとで、堀田に少しも興味がないみたいに背を向けて眠ったりしない。まるで堀田の持ち物みたいに、すぐそばまでぴったりと近づいてきたかと思えば、あたかも他の誰かのものみたいに手の届かない遠くに行ってしまったりしない。誰もいない病室で、たくさんの管につながれた石神を見つめている間、石神は堀田だけのものみたいで、幸せだった。

そんな堀田の幸せは、あっという間に崩れ去った。石神が目を覚ましたのだ。正確には、石神の意識だけが身体から抜け出して、クラブハウスにやってきたらしい。らしい、というのは、堀田にはなにも見えないし、聞こえないからだ。

はじめ石神が意識だけでクラブハウスにやってきたとき、ざわめくチームメイトたちは、結託して自分をからかっているのだと思った。やがて本当に自分だけが石神を認識できないのだと理解したとき、天罰があたったのだと思った。石神が事故に遭って大変な目にあっているのに、彼に良くないことを思ったり、まして彼の不幸を喜んだりした自分に、天罰があたったのだと。

石神がチームに戻ってきて、でもサッカーボールを蹴ることはできない。淋しくて人恋しいのか、毎日クラブハウスにやってきては丹波や堺とくだらない話をしたり、若手をからかって遊んだりしているみたいだけれども、堀田にはなにもわからないから興味がわかなかった。否、ものすごく興味がある。知りたいけれども、知ることができない。自分には、身体のない彼が今どうしているのか、何を考えているのか、知ることすら許されていないのだと思った。


その日、練習後のロッカールームでは、また石神と丹波がふざけているらしく、丹波や周りの笑い声が響いていた。堀田は何も見えないし、聞こえないから、そちらに目を遣ることすらしなかった。石神、という名前も聞きたくなかった。けれども突然、赤崎が声を荒げた。ガミさんのこれってチームの一大事じゃないんスか? なんとかしようとか考えないで、こんなくだらねぇことやってるなんて、俺には信じらんねえ。厳しい言葉の相手は、たぶん、石神本人だ。

赤崎はああ見えてチーム想いの選手だ。それが伝わる言葉だ。でも、赤崎がちらりとこちらを見てくるのを無視して、堀田は荷物を手に取った。お先に、と短く告げてロッカールームを出て行く。自分が惨めだった。赤崎はたぶん、堀田が石神に特別な想いを抱いているのを知っている。それで堀田が一人だけ、今の石神と言葉を交わすことができないのに同情しているのだろう。でも、そんなの、赤崎の知ったことじゃない。ほうっておいてほしかった。

久しぶりに石神の身体を見に行った。相変わらず、薄情そうな顔で、いくらかの医療器具につながれて眠っている。あの身体は見ることができる。きっと触ることもできる。でも、あの中に石神の意識はない。霊、たましい、どん言葉がふさわしいだろうか、とにかくあれは石神のいれもので、石神そのものではないのだ。堀田をからかうときの芝居がかった声や、意地悪く細められた瞳が懐かしかった。

次の日、練習で、ミニゲームをやった。ボールを持った堀田は、パスの出しどころを考えながら、ふと、石神のいた試合を思い出した。

ちゃんと俺見てろよな

そう言うから、堀田はそれまでの自分では考えられないような思い切ったパスを出した。見てろというから、石神を見ていた。その試合のあともずっと見ていた。ほんとはそんなふうに言われる前から、ずっと、堀田は石神のことを見ていたのだ。ピッチの上でも、外でも、いつでも。でも、今は見ることができない。からっぽの入れ物しか、堀田の目には映ってくれない。

そんなことを考えていても足は動いていて、石神じゃない誰かを見て、ボールを回す。あのとき、見てろと言ったのは石神のくせに、見られないようになるなんて酷い。やっぱり石神はろくでなしの男だと思った。

練習後、調整とマッサージの後、誰もいなくなったロッカールームで、石神のロッカーの前に立った。5番の背番号のついたユニフォームが引っかかっていて、それは石神が事故に遭ってからずっとそのままになっている。彼が幽霊みたいにして戻ってきても、着ることはできないから、ユニフォームはおなじように置きっぱなしになっている。見てろと言われた背中のぬけがらだけがそこにある。泣きたいような気持ちだったけれども、涙は出そうになかった。ただ道しるべをなくしたように呆然と立ち尽くすしかない。

ばからしくなって、帰ろうと思った。荷物を取って、ロッカールームのドアへと向かう。そのときふと、傍に石神がいるような気がした。周囲には誰の気配もなく、音もない。遠くからジュニアの練習中らしいホイッスルの音なんかがたまに聞こえるだけだ。

ガミさん?

誰もいないはずなのに、わらかないはずなのに、なんとなく、そこに石神がいるような気がした。振り返っても、そこには誰もいない。やっぱり帰ろう、と思うと、腕に風がふれた。

ガミさん? いるんですか?

堀田の声は、虚しくロッカールームの天井に吸い込まれていくだけだ。見えないのに、聞こえないのに、そこに石神がいる気がして、話しかけてみるなんて幻覚を見ている人みたいでおかしいのに、必死だった。

いるなら返事してくださいよ、ガミさん。なんでおれにだけ姿見せてくれないんですか。

泣き出しそうな声になってしまって、我ながら情けない。でも、もしそこにほんとうに石神がいるのならば、淋しいと、姿を見せてほしいと、伝えたかった。だって見てろと言ったのは石神のほうなのだから。

ガミさん……、ひどいよ、ガミさん。

堀田は手の甲で目を押さえた。そうしないと、みっともなく泣きだしてしまいそうだった。言葉は空気に溶けるばかりで、なんの反応もない。要するにひとりごとだ。こんなみっともない真似まですることになる。こんな仕打ちをするなんて、神様はなんて悪趣味なんだろうと思う。信じてもいない神様を心の中で罵りながら帰途についた。

その夜、夢を見た。石神が肉体ごと目を覚まして、まっさきに堀田を抱きしめに来てくれる夢だ。石神は夢の中で、何度も堀田を抱きしめ、淋しい想いをさせてごめん、でもおれも淋しかったんだと告げ、顔じゅうにやさしいキスを落としてきた。起きたとき、なんて都合のいい夢を見たものだろうかと苦笑した。でもなんとなく心の中があたたかい。クラブハウスに向かう足取りが、こころなし軽かった。もうすぐ本物の石神が彼を抱きしめてくれることを、堀田はまだ知らない。








2010/9/15
2010/8/29の日記より。