大きめの愛で包んで2







久しぶりに所属するチームの練習のない日だったので、村越は学校からまっすぐに家に帰った。
期末試験も近いことだし、勉強でもしておこうと思う。
今はサッカーにただ夢中になっているけれども、
それだけで将来がどうにもならないかもしれないことは茫漠とだけれどもわかっているつもりだ。
できることが多いに越したことはない、だから平均よりも真面目になる。
公園の横を通り過ぎるとき、そういえばこの前へんな小学生に絡まれたな、とおもいだした。
大人びた目をした、生意気な子供だった。
しかしもう二度と会うこともないだろう。
などと頭の片隅で考えていると、後ろから犬の走ってくる音がする。
地面のアスファルトと、犬の爪がぶつかる、ちゃっちゃっという音だ。
あまりにもまっすぐに近づいてくるので、危険を感じて振り返る。
ちょうど上半身が後ろを向いたところで巨大な茶色いかたまりにタックルされて尻餅をつく。
一瞬ぼやけた視界の向こうでぱたぱたとしっぽが揺れている、犬に悪意はない。
「やあ、ひさしぶりだねコッシー」
例の小学生が、もう一匹、黒い犬を従えて優雅に歩いてくる。
たまたま思い出したタイミングで再会するとは、偶然というのはおそろしい。
はい、と手を差し伸べられるけれども、無視して自分で立ち上がる。
拒否されたことを特に気にした様子もなく、バッキーご苦労さま、と犬のリードを回収する。
「……何の用だ」
汚れたスカートの尻を払い、鞄を肩にかけなおす。
立ち上がればこの小学生よりも自分のほうがずっと大きい。
けれども彼にはそんなことをどうでもよくさせるような雰囲気がある。
子供らしくなくて、どう接していいものやら、面倒だ。
「あ、うれしい。ちゃんとボクのこと覚えててくれたんだね」
「まあな」
印象的な子供だったから覚えている。
物怖じしないし、たいていの子供に怖がられる村越に好意的であった。
「じゃあ名前は?覚えてる?」
「ジーノ。犬がバッキーとザッキー」
名前を呼ばれて、ジーノはくすぐったそうに首をひねった。
「わお、すごいねコッシー。ね、せっかくまた会えたんだから遊ぼうよ」
ジーノの手は、村越の制服のジャケットをがっつりとつかんでいる。
「なんでだ」
「だってボク、退屈なんだもの。一緒にサッカーしようよ」
「友達とやればいいだろう」
「ボク友達いないもの。ね、いいでしょう」
友達がいない、なんてさらりというジーノに正直驚いた。
みんなボクを王子って呼ぶよ、とかなんとか得意げに言っていたのに。
やはり変わり者だから、天真爛漫な小学生のあいだで浮いてしまうのだろうか、
途端にジーノが頼りなげでかわいそうな子供に見えてきた。
「……ちょっとだけなら」
「やった!だからコッシーって好きだよ」
まだ会うのは二度目なのに、わかったようなことを言う。
それがなんだか微笑ましくて、村越は素直にジーノに手を握られて公園まで戻った。
温かくて湿った、指先のほんのりと赤く染まった手だった。
公園は、ジーノより小さいくらいの女の子たちがブランコのところで遊んでいるだけだ。
いつもはもっと子供でいっぱいで騒がしいのに、今日は閑散としている。
「じゃあ、遊ぼう」
村越がベンチに鞄を置くと、ジーノは待ちかねたようにサッカーボールを転がしてきた。
ベンチにネットがおいてあるあたり、わざわざ持ってきていたらしい。
二匹の犬はベンチの足にリードをつながれておとなしくしている。
「そこがゴールで」
ジーノが三つならんだうち真ん中の鉄棒を指差す。
「一対一ね」
「ハンディは?」
「いらないよ」
なにを失礼な、とでも言うように口を尖らせる。
寒さで赤くなったすべらかな頬が、不満げに膨らんでいる。
親切心のつもりが、プライドを傷つけたらしい。
「あ、でも、ご褒美はほしいかな」
なにが言いたいのかわからなくて黙っていると、ジーノは
こちらを見上げてにっこり笑った。
天使みたいに無邪気に。
「ボクが1回ゴール決めたらおっぱいさわらせてよ」
とてもいい笑顔だったので、一瞬、なにを言われたのかわからなかった。
ボクが1回ゴール決めたらおっぱいさわらせてよ。
それから急速に理解した。
やっぱりこの子供に付き合うのはいやだから帰ろうかな、とローファーの踵が動きかける。
しかしハンディもなしでまともに勝負すれば、相手に勝ち目がないことは明らかだ。
そこであまり騒ぐのも大人げない気がする。
「……………」
黙り込む村越に、ジーノは
もう一度、おっぱいさわらせて、と畳みかけてくる。
「……………………………わかった」
「ほんとにいいの!」
言い出しておいて、驚いたみたいな声を上げる。
ほんとに?ほんとに?と何度も確認してくるので、村越は承諾したことをちょっと後悔した。
でも、負けなければいいだけの話だ。
「じゃあ、ボクからね!」
勢い込んでジーノがボールを置く。
ディフェンスが村越で、オフェンスがジーノだ。
頭ひとつぶんも身長が違うし、経験だって全然違うのだ、全く負ける気がしない。
ジーノのちいさな体はなるほど頼りなく簡単にいなせそうで、村越はどう遊ぼうかと頭をめぐらせた。




体格差や技術はともかく、ジーノは駆け引き上手だった。
学校のチームで10番と言っていたが、
なるほどこんな子供らしくないプレイをされれば小学生など簡単に翻弄されてしまうだろう。
フェイクをいれるのもうまい、でもやはり村越に止められないほどではない。
村越がボールを奪うと、また交代だ。
今回、ジーノにはだいぶ粘られたけれども、集中力を欠かさなければ問題ない。
「ちょっと休憩!」
息を弾ませてジーノが言う。
攻守が何度入れ替わったかは覚えていないが、まだ一度もジーノにゴールを許していない。
けれども何度か、ひやりとする瞬間があったことも確かだ。
ジーノはコートを脱いでベンチの背にかけた。
おそらくはカシミアの、素材のよさそうなコートだ。
中に着ている赤いセーターも品がよくて高そうだった。
村越もすっかり体があたたまっていたから、ブレザーを脱ぎ、マフラーをはずした。
首に触れる冷たい空気が気持ちいい。
「コッシーってほんとに上手なんだね。ちょっとは手加減してよ」
「おまえがハンディなしでいいって言ったんだろ」
「そりゃ言ったけどさ。こんなに苦戦するなんて思わないじゃない」
そんなふうに正直に言って、肩をすくめるのが可笑しい。
ふつうの子供だったら、負けん気を発揮して意地を張りそうなものなのに、彼はそうではなかった。
村越は鞄からペットボトルを取り出してお茶を飲んだ。
ベンチのそばでおとなしくしている犬を撫でたりしているジーノにも、飲むか? と聞く。
頷いて飲んだあとで、
「間接キスだね」
などと笑う。
どういう発想なのだか、相手をするのも面倒なのでそのまま流した。
頬がほんの少し、熱くなったような気がするのは、それまでの真剣勝負のせいだ。
「じゃあ続き。ボクからだよね」
ジーノがボールを転がす。
村越も鉄棒を背にして位置につく。
少しは手加減しろと言われたものの、気を緩めたらあっという間につけこまれて抜かれそうだ。
そういう意味では手強い相手た。
ジーノは靴の裏でボールの表面の感触を確かめるようにしてから、ひゅっと村越の左手に回り込もうとする。
させるか、と止めに入ると、ジーノが声を上げた。
「ザッキー!」
え、とおもう間もなく、ベンチから黒い犬が走って来る。
避けなければとおもうのに、こんなときに限って運動神経が役に立たない。
徐々にアップになる犬の鼻面、そして飛びつかれる。
今日二回目、尻餅をついている間に、ジーノは悠々とゴールを決めていた。
「ハハッ、見たかいコッシー?」
「見えたと思うか?」
さすがこのザッキーという犬のほうが賢いと言われるだけあって、
飛びついて村越を妨害してからすぐにどいてくれた。
ただ、ブレザーに点々と肉球のもようがついている。
制服の、チェックのスカートもすっかり砂だらけだ。
まともに勝負していたのが馬鹿らしい。
「怒った?」
しょげた声で手を差し伸べる。
らしくなく情けない顔をしていた。
それもなんだかかわいそうで、手を借りて立ち上がる。
「当たり前だろう」
「でもだって、どうしても勝ちたかったんだもの」
「ズルして勝っても意味ないだろう」
「……うん。ごめんなさい」
殊勝に頭を下げられると、ちょっとふざけられただけで真面目に怒った自分が気まずくなってくる。
確かに手加減しなかった自分も大人げなかったかもしれない。
「いや……反省してるならいい」
もうすぐ日が暮れる。
おしまいにして帰るのにはちょうどいいくらいだろうか。
「もう、帰るか」
「うん。でも」
うつむいていたジーノが顔を上げる。
先ほどまでのしょんぼりした声色は演技だったのかとおもうほど、瞳が生き生きと輝いている。
「ゴールはゴールだよね。約束だから、おっぱいさわらせて」
「………………」
この子供は、一体どういう神経をしているのだろうか?
それとも子供はこういうのが普通だったろうか。
若干、頭が痛い。
「……嫌だ」
「どうして?約束したじゃない」
「おまえ、ズルしただろう」
「したけど、ハンディみたいなものだよ」
開き直られると、もうどうしたらいいのかわからない。
そろりと手を伸ばされるのをはたき落とす。
「ケチ」
「ケチじゃない!」
「いじわる。約束したのに」
「もう帰れ」
ジーノはぶうぶう文句を言っており、なにがなんでも触るまで納得しなそうだ。
あーもう、どうにでもなれと、村越は覚悟を決めた。
「わかったよ」
「ほんとに?」
ジーノの目が嬉しそうに輝く。
細い手首をつかんで、ぐっと引き寄せ、勢いのまま抱きしめる。
頭をぎゅうぎゅうと胸に抱え込むと、髪の毛がするりと指の間を通っていく。
手触りがよくて気持ちいいので、なんどか撫でた。
それから紺色の制服のセーター越しに、子供のぬくもり。
甘酸っぱいような身体の匂いと、砂の匂いが混ざって、ふわりと鼻をついた。
相手は子供とはいえ、こんなに他人と距離を詰めることはあまりないから、変なかんじがする。
こんなものだろうか、と体を離すと、ジーノは少しぼうっとして、ややあってから口を開いた。
「コッシーってば、情熱的」
ほやん、ってして、いいにおいがしたよ、コッシーのおっぱいってやわらかいんだね、
などと興奮ぎみに感想を話すのを聞いていられない。
早まった、なんて恥ずかしいことをしてしまったのだろう、耳まで熱くてたまらなくなる。
もうジーノの顔なんか見られなかった。
「じゃあな」
脱いだ上着と鞄を取って、帰ることを告げる。
「うん、またね」
誰がまた会うか、と心の中で悪態をつきながら、村越は公園を出た。
うしろでジーノが手を振っている。
早足で帰途に着いた村越は、村越をお嫁さんにもらおうとジーノが心に誓ったことなんか知らない。








2011/1/2
ショタジーノと女子高生しげゆきリターンズです。
ついったでぶつぶつ言ってたネタで、後半で一部人様のネタを拝借しております。