しげゆきとまいんちゃん ファイナルステージ







「はい……はい、かしこまりました。どうぞよろしくお願いいたします!」
広報の有里の、興奮でうわずった、いつも以上に元気な声が響く。失礼いたします、と電話を切った彼女は部屋中の注目を集めていた。
有里は鼻息も荒く手にしていたペンを置き、大きな伸びをひとつ。それから勢い込んで立ち上がった。
「どうだったの、永田さん」
部長がこらえきれずに有里に話しかける。振り返った彼女は、堪えきれない満面の笑顔で答える。
「オッケーでました! 今度の試合は、スタジアムにクッキンアイドルまいんちゃんが登場します!」
部屋からは彼女の健闘をたたえる拍手が起こった。ここ数週間、彼女がこの企画を成功させるためにどんなにがんばっていたか知っているからだ。

「えー、そういうわけなので、みんなはしゃぎすぎないように」
達海監督からのお達しに、選手たちは顔を見合わせ、今にも口々に感想を言って騒ぎ出したいのを抑えていた。
あのまいんちゃんがETUのホームゲームにやってくる。なんでも、アニメ制作会社が同じよしみということで、広報が打診していたらしい。これがもし『マリア様がみてる』の出演者であれば、小笠原祥子が「あの巨大な生き物はなあに? ずいぶん乱暴なのね」などとパッカくんについてコメントを述べたり、妹の福沢祐巳がチャントに混ざって得意の安来節を披露してしまったりして、なんだかよくわからないことになってしまったことだろう。
とにもかくにもまいんちゃんである。まいんちゃんのおかげでサッカーなぞにはついぞ興味のない幼女や、大きいおともだちもスタジアムに足を運んでくれるかもしれない。そこで面白いゲームで魅力すれば、サッカーファンになってくれるかもしれない――などというのは建前である。キャプテンである村越が、まいんちゃんの大ファンなのだ。それだけで選手たちにとっては特別すぎる非常事態であった。
「はいそれじゃーれんしゅー」
監督のやる気のない掛け声で、選手たちは三々五々散っていき、それぞれの練習を始める。だれもがチラチラと村越の様子をうかがったが、当の本人は普段通りの難しい顔で、特にはしゃぐ様子も見受けられない。あれだけまいんちゃんを溺愛している村越なのだ、間違いなくそわそわして珍しい光景を見せてくれるだろうと思っていた面々は、多少の肩すかしを食った。
「まいんちゃん、どこで出てくるんスかね」
世良が落ち着きなく清川に話しかける。
「そりゃ、試合前にパフォーマンスするんだろ。あの子、アイドルなわけだし」
「エスコートキッズにまざったりしないんスかね」
「そりゃ広報次第だろ」
世良の予想は正しかった。まいんちゃんは当日、エスコートキッズにまざってくれることになったのである。

「いいか?次の試合にまいんちゃんが来る。お前ら、わかってんだろうな」
スカルズのミーティングで、リーダーの羽田はいつものように威勢よくと指示を飛ばした。いつもスカルズが集まるバーミヤンで大テーブルを占拠し、真ん中には一枚のチラシ。ETUの試合の告知の左下には、『クッキンアイドル まいんちゃんも登場!』とまいんちゃんの写真入りで書かれている。
この小さな告知こそが、本日の大問題である。なぜならミスターETUこと『俺たちのコシさん』がまいんちゃんの大ファンであることは周知の事実だからだ。
まいんちゃんはまだ小学生の女の子だ。サポーターがひどい怒声をあげたり、スタジアムに剣呑な雰囲気がただよったりしたら、それだけで怖がってしまうかもしれない。できるだけ、ワクワクたのしいサッカー観戦☆ という空気を作らなければならない。
もしサポーターたちの行動が原因でまいんちゃんにサッカーを怖いものだと思われ、二度とスタジアムに近寄らなくなってりしては村越に面目が立たない。サポーターたちのリーダーとして、羽田に課された使命はこの上なく大きかった。
「はいっ、羽田さん」
「なんだ」
スカルズのミーティングは挙手制である。羽田に指されたら発言が許される、学級会方式である。
「まいんちゃんはエスコートキッズとしても参加すると聞きました」
「ソースは」
「広報の永田さんの声が外まで聞こえてきました」
「信憑性は高いな。エスコートキッズか……」
そのとき、その場にいたスカルズの誰もが、まいんちゃんと手をつないで入場する凛々しい村越の姿を脳裏に思い描いた。それはそれは心温まる光景だ。
一気に彼らの会議にほんわかしたムードが広まる。羽田はうっすらと頬を染めてさえした。
しかし、その幸福な妄想は、メンバーのうちの一人の言葉で遮られた。
「でももしフロントが、コシさんだとまいんちゃんが怖がられるかもしれないとかいって適当な若手と組ませたりしたら……」
そのちいさなつぶやきに、メンバー全員の目の色が一気に変わる。あのサポーターの期待に答えらない、どうにも空気の読めないところのあるフロントとならばやりかねない。
「野郎ども、作戦会議だ!」
羽田の鶴の一声で、おお! とスカルズの面々が声をあげる。バーミヤンの店内で一気に注目を集めたものの、彼らのうちには一人だってそんな細かいことを気にする者はいなかった。
なんとしてでも、村越とまいんちゃんを組ませて入場させたい。そのけなげな気持ちが羽田をはじめとするスカルズメンバーの心をひとつにしていた。
まいんちゃんの小さくてやわらかな手を握って戦地に赴く村越はさぞかし士気を高め、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれることだろう。一緒に入場したお兄さんさんが試合で大活躍するのを見たまいんちゃんがサッカーを好きになれば、またスタジアムに足を運んでくれるかもしれない。
羽田の妄想は、まいんちゃんが番組で村越を応援するためのお弁当を作ったり、果ては『ミラクル☆メロディハーモニー チアガールミックス』のときの衣装で村越を応援するあたりまでいった。もちろん羽田は、村越がまいんちゃんを好きだと知ったその日から、欠かさずに夕方の放送を見ている。
そしてその妄想を胸に、羽田はなんとしてでも村越とまいんちゃんを接触させようと計画を練るのであった。

試合当日。村越はあくまでもふだん通りに努めようと、深呼吸を繰り返していた。
今日はまいんちゃんが試合を見に来る。このチームのキャプテンとして、無様な姿は見せられない。わざわざまいんちゃんが前座に現れて盛り上げてくれる試合で惨敗するようなことがあってはならないのだ。
そのためには、まずリラックスが必要だ。例え目の前に生まいんちゃんがいても、慌てず騒がず取り乱さず、あくまでも紳士的に振る舞うのだ。
実は、村越はまいんちゃんにプレゼントを用意していた。ETUのマスコットキャラクター、パッカくんのぬいぐるみである。はじめはトイザらスに行ってみたものの、彼女の年くらいの女の子に喜ばれるような気の聞いたものなんて、村越には思いつかなかった。それでETUならではのものを、と考えて選んだのだ。
パッカくんのぬいぐるみは、不器用ながらも一生懸命ラッピングした。村越の太い指ではリボンを綺麗に蝶結びにするのも難しかったが(なぜかどうしても縦結びになってしまう)、なんとかやりおおせた。直接わたすことができないまでも、付き添いのマネージャーに渡すことくらいはできるだろう。喜んでくれるかどうかはわからないけれども、村越にとっては、テレビの向こうから自分を元気付けてくれた天使にプレゼントを渡せることだけで、十分に幸せなことなのだった。
ロッカールームで試合に向けて準備をしながら、極力そわそわしないようにじっと堪えているところに、広報の有里がやってきた。
「村越さん、ちょっとちょっと」
手招きされて、呼びつけられるままに事務所へと通される。いつになく有里は楽しそうで、村越ににこにこと機嫌のよい笑顔を向けてきた。
「どうしたんだ」
「いいからいいから」
なんだかよくわからないまま、促されて部屋に入る。と、そこにはやわらかいベビーピンク色の衣装に身を包んだ天使がいた。
「むらこしさん、こんにちは! わたし、ひいらぎまいんっていいます!」
天使は村越に向かって振り返り、笑いかけ、あまつ名前を呼んで挨拶をした。天使が、あの天使が目の前にいる。彼女の周囲だけ、きらきらと純白のダイヤモンドダストが舞っているかのように輝いて見えた。
「ま……いん、ちゃん……」
「はいっ! 今日は、よろしくおねがいしまーす!」
テレビと同じ、鼻にかかったような甘くて元気な声だ。村越は自分の目が、耳が信じられなかった。有里も人が悪い、ひとことまいんちゃんがもう来ているのだと教えてくれれば心の準備ができたというのに。
「こちらこそ、よろしく」
ぶっきらぼうにそう言うのが村越の精一杯だった。あまりの緊張に、うまく声がでない。娘ほどの年の差がある女の子空いてにおかしいとおもうのだけれども、自分でコントロールすることは不可能だった。
「はい! とってもたのしみにしてきました」
間近で見るまいんちゃんは小さくて、華奢で、ふわふわと輪郭線も頼りないようなかんじがした。ほんとうに同じ人間なのかと疑わしくなるくらい、きちんと自立してうごいているのが不思議だ。
村越がかたまっているのを察して、有里が口を挟む。後藤や永田会長たちは無言で村越を見守っている。
「まいんちゃんには、エスコートキッズにも混ざってもらおうと思っているんです。それで、村越さんと一緒でどうかなって」
「え……」
まいんちゃんがエスコートキッズに混ざるだろうということは小耳に挟んでいた。しかしまさか自分にその僥倖が与えられるとは思っていなかった。
「むらこしさんのこと、しーっかりエスコートしますからね!」
まいんちゃんはあくまでにこにこしている。わけがわからなかった。村越はほとんど放心状態だった。

そしてまいんちゃんは、試合前のスタジアムで持ち歌の『キッチンはマイステージ』を披露して会場を大いに盛り上げた。
さらに選手入場の際には、村越の大きな手をしっかりと握ってピッチに入ってゆき、スカルズの面々を感動の渦に巻き込んだ。
実はこういう組み合わせで入場することになったのは、羽田がまいんちゃんの所属事務所にごくごく穏便な手紙を送ったからであった。
『にちようびにまいんちゃんが行くサッカーチーム、ETUのキャプテンをやっている村越さんはまいんちゃんの大ファンです。ぜひ、村越さんをおうえんしてあげてください』
羽田は近所のファンシーショップでピンク色のうさぎのイラストが書いてあるレターセットを買い、できるだけ丁寧な字で手紙をしたためた。その努力はこういった形で報われたのである。
それで、チームにファンの人がいるならばとまいんちゃんの事務所がはからい、まいんちゃんサイドから、手をつないで入場する選手はむらこしさんがいいです! と進言していたのだった。
そんなことを知るよしもない村越は、まいんちゃんの応援に誠意をもって答え、その試合ではスーパーゴールを決めまくったのであった。

おわり









2010/6/14
6/12のETUファン感謝デーにて、無料配布したコピー本に載せていたおはなしその3です。