しげゆきとまいんちゃん セカンドステージ







練習を無断欠席していたミスターETUが、ようやく練習に復帰してきた。
その朗報は、チームの人間からマスコミやファン、それから噂を気にかけていた他チームの選手たちまでをも安心させた。あの真面目で熱心なキャプテン――正確には元、だが――が練習を休むなんて、一体新監督はどんな人間なのかと不安が広がっていたのだ。
全体の練習が解散になった後、自主練をする村越の背中を見つめながら、黒田は心の底から安堵の息をついた。いなくなっていたキャプテンが戻ってきたのだ。
監督がわけがわからない人間である以上、元からのメンバーが正気を保っていてくれないと不安だ。若手は洗脳されかかっている。こんな時こそ、選手たちの精神的支柱である村越を中心に選手たちが一致団結しなければならないはずなのに、肝心の村越がいなくなってしまっていた。そういう意味でも、村越の不在は、黒田を死ぬほど不安にさせていたのだ。
「コシさんが戻ってきてよかったッス。心配したんスよ、メールに返事ないし、電話かけても出ないし」
「悪かったな。もう大丈夫だ」
村越は冷静に返事をしてくる。あまり不在の間のことには触れないほうがよいと思っていたが、この落ち着いた様子なら大丈夫かもしれない。
黒田は、不在の間の村越は、旅に出ていたのだと信じている。キャプテンを外されたものの、真実の自分を探してキャプテンの座を奪還するために、誰にも言わずに一人で旅に出たのだ。そして旅先で実りある時間を過ごし、自分なりの哲学を見いだしてあるべき場所に戻ってきた――そんなところだろう。そんな物語こそが、村越という人間には相応しい。
「コシさん、練習来てない間は何してたんスか」
「俺は、天使に会った」
黒田は拍子抜けした。
「え、コシさん、女ッスか」
予想外の返答だった。こんなときに女の胸に抱かれるなんて、普通の男してはありえることだが村越がそういう行動をするとは意外だった。一人きりで思索を深める、そういう生き様こそが村越に似つかわしいと思っていたのに。
「いや、女とかそんなじゃない。まいんちゃんは天使だ。天使としかいいようがない」
「まいん……ちゃん?」
黒田はもはや目を白黒させるしかなかった。
『まいんちゃん』という名前に、黒田はひとつしか思い当たらない。姪っ子がよく見ている教育テレビの番組で料理をしている幼い女の子だ。その番組を見た直後はやたらと姪っ子がお手伝いをしたがるがら印象的だった。村越の口から出たのは、その名前だ。
それが、天使だって?
黒田の脳はそこでフリーズした。そのあとの記憶がまったくない。どうやって会話を終わらせたのかも、どうやって着替えて帰ったのか憶えていない。けれども気がついたらベッドで寝ていたから、おそらく杉江が連れ帰ってくれたのだろう。

不名誉な噂ほど、広まるのも早いものだ。
『ミスターETUはロリコン』
そんな醜聞が日本サッカー界に瞬く間に広がっていた。当の本人は全く気にした様子がないが、おそらく噂を知らないか、言われている意味がわかっていないかどちらかだろう。おそらく前者だ。というか、前者であってほしい。
『まいんちゃんは俺の天使だ』
恥ずかしげなく悪びれず、そう吹聴してまわる無邪気さに、いつしかETUはチームを挙げて村越のピュアな心を汚らしい風聞から守ろうという雰囲気になっていた。マスコミを出来るだけシャットアウトし、しばらく休んでから再びピッチに戻ってきたという話には可能な限り触れさせないようにした。不在の間の話をすると、どうしたって彼の口からまいんちゃんが登場してしまうからだ。
間近に迫っているのは東京ヴィクトリーの試合だ。キャプテンの城西は空気の読めない男だから、キャプテン同士、相手の心の機微を気遣ってくれるなんてことはなしに、面と向かって村越をロリコンと糾弾するかもしれない。また、危険な男・持田が、このネタで村越を再起不能なまでにいじってしまうかもしれない。はたまた平泉監督にETUのウィークポイントとして目をつけられてなんらかの精神攻撃をされてしまうかもしれない。
様々な憶測が、不安にかられた選手たちの胸をよぎる。村越を守るという一点において、選手たちはいつになく一致団結していた。しかし、村越はそんなチームメイトたちの気遣いや戸惑いなど知らない。
「フンフンフンフーンフーンフーン♪」
当の村越はといえば村越は帰ったら録画してある今日のまいんちゃんを見よう、今日は何を作るのだろうかと考えながら、『キッチンはマイステージ』の鼻歌を歌いながら練習にはげんでいるのあった。
そして試合の当日、いつになくピリピリしたムードで東京ヴィクトリーを迎え撃った他の選手を余所に、村越は粘りの同点ゴールを決めて試合を引き分けに持ち込む。そして無事にキャプテンマークを取り戻した。
その試合で初めて頭角を現した椿が脳裏に思い浮かべていたのは、監督の「お前ん中のジャイアント・キリングを起こせ」という名台詞だった。そので一方で、村越はといえば、まいんちゃんの『キッチンはマイステージ』の「たまの失敗はスパイスかもね」という歌詞を思い浮かべてゴールを決めたということは、今のところ彼の心ひとつにしまわれている。








2010/6/14
6/12のETUファン感謝デーにて、無料配布したコピー本に載せていたおはなしその2です。