Mister, don't be careless!2







先生、と舌先で飴玉を転がすように軽く呼ぶと、彼はゆっくりと振り返り、それからあからさまに嫌そうな顔をした。
また前を向いて歩きはじめてしまうので、ジーノはセーラー服のスカートの裾を揺らして小走りに彼を追いかけた。
「なんで無視するのさ先生?」
「お前の相手はしたくない」
「えー、そんなこと言ったら傷付いて不登校になっちゃうよ」
「お前に限ってそんなことあるか」
真面目な顔で村越がいうので、ジーノはすこし嬉しくなった。
「ふふっ、信用してくれてるんだね。じゃあ、こうしよう」
相変わらず村越の歩調は緩まない。
大人の男と、制服のスカートを翻す自分の、身長差分の歩幅の差を埋める努力がめんどうになり、ジーノは足を止めた。
「止まってくれなきゃこの前のこと校長先生にいっちゃうよ」
効果はてきめんで、村越は立ち止まってこちらを向いた。
眉間に深く皺をよせ、面倒くさい、嫌だ、というのを隠そうともしない。
村越のそういう顔はとてもすてきだとおもう。
「この前のことってなんだ」
「やだなあ、忘れたの?体育倉庫でボクのことマットに押し倒したじゃない」
「あれはお前が悪いんだろう」
「ええー?じゃあコッシーは少しもうしろめたくないっていうの」
ボクはもうどうしようって思ったよ、あんなに男の人に近づかれたことないから、
もうコッシーのところにお嫁にいくしかないって思ったよ。
胸に手を当て、芝居がかった口調で言うと、村越は口角をぐっと下げて、なにかいうべき言葉を探しているようだった。
この新任の体育教師は、ジーノのお気に入りだった。
教師という存在に特別な興味を持ったことなんか今までにないけれども、村越はべつだ。
今年の始業式で、壇上で挨拶をしているのを見たときから気にいっていた。
だいたい、サッカーをやっていた、というのがいい。
かなり本気でやっていて、プロに近いところまで行っていたらしいのに、
どうしてやめたのかなんかは詮索するだけ野暮だけれども、ジーノはサッカーが上手い人が好きだ。
それに村越はジーノを見て、困ったような、戸惑ったような、あからさまに迷惑そうな顔をするのがいい。
そんなの、俄然燃える。
自分のものにしてしまいたくてたまらなくなる。
「押し潰したのは悪かった。だがな、襲われたのはむしろおれのほうだ」
「そう?」
大の男の村越が真面目な顔で言うから、心底可笑しい。
へんにジーノを子供扱いしたりしない、とてもフェアな態度だ。
彼の言うことは確かに、状況としては正しかった。
「だったらちゃんとボクがお嫁にもらってあげるよ」
「嫁か」
「きっとコッシーは白無垢が似合うとおもうよ」
「お前の嫁なんてごめんだ。おれは早く帰りたいんだ、用があるならさっさとしろ」
村越はつれない。
けどそこがいい。
たまらなくいい。
ジーノは舌舐めずりしたくなる気持ちを抑え、ことばを紡いだ。
「うん、えーと…あ、あのね、トイレについて来て欲しいんだ。ここのトイレ、怖いから」
そう言ってジーノは通学路からすこし外れたこの道沿いの、公園にある公衆トイレを指差した。
まだ夕方とはいえ、明らかに暗くていやな雰囲気だ。
もちろん尿意などはなく、また村越をからかって遊びたいという魂胆だ。
「あっちのコンビニででも行けばいいだろ」
「そんなとこまで我慢できないよ。でも怖いから、ね、お願い、一緒に来て」
何か言いたそうにしている村越の手を問答無用で引っつかみ、ジーノは歩き出した。
村越はこれみよがしのため息をひとつつくと、黙ってついてくる。
入り口のところで、じゃあここで待っててね、勝手にいなくなっちゃやだよ、
とことさらに甘えてから女子トイレに入った。
清掃などろくにされていないトイレは、アンモニアのにおいが鼻をつく。
3つ並んだトイレの一番奥の個室の鍵をかけてから、ジーノはにっこりと笑った。
さて、どうしてやろうか。
とりあえずは水を流して、用を足すふりをする。
それから軽く息を吸い込み、きゃああ、と甲高くかわいらしい悲鳴を上げる。
「コッシー!きて、コッシー!」
「どうした?」
トイレの入り口のほうから困惑した声が聞こえてくる。
さすがに女子トイレに入るのは躊躇われるらしい。
それでもなお、ジーノは村越を呼ぶ。
「やだやだやだ、コッシー!!きてえ!」
切羽詰まった声を出すと、小さな舌打ちと、中に入ってくる靴音がした。
「おい、どうした」
個室の前まで村越がきたところでジーノは鍵をあけた。
内開きの扉が半分あいたところで、不意打ちで村越の腕を引く。
和式便所の個室の奥に大きな体を突き飛ばし、すばやく鍵を閉めた。
「おい、なんのつもりだ」
「えー?」
騙されたことを悟った村越が、地を這うような低い声をだす。
反対にジーノはわざとかわいこぶった声を作って、
だってコッシーとふたりきりになりたかったんだもん、と言ってみた。
ばかばかしい、と吐き捨てて個室を出ようとする村越の行く手を遮るようにドアの前に立つ。
狭いトイレの中でそうしてしまえば、村越はどうしようもなかった。
「コッシーってば騙されやすいねえ」
ジーノがからかうと、村越はいかつい顔面に少々の焦りを浮かべ、どけ、と早口で言ってジーノをどかそうとした。
「やだ、って言ったら?」
問答無用とばかりに無言の村越がジーノの腕を掴む。
本気の力でこられたら、ジーノの細い腕では歯が立たない。
「痛い、乱暴やめてよ」
「じゃあどけ」
「いやだ」
村越の力が緩んだ隙に、背伸びをしてするりと首に腕を回す。
唇ぎりぎりのところに音を立ててキスすると、村越は慌てて体を離した。
後ずさってもすぐに壁にぶつかる。
近付いた一瞬で嗅いだ村越の男くさい体臭に、ジーノはもう背中がぞくぞくしていた。
村越は本気で危険を感じているらしく、額に玉のような汗が浮かんでいるのが見えた。
舐めとりたい、と思った瞬間体は動いていて、村越の肩に手をかけた。
その瞬間、反対にジーノは手首を掴まれて勢いよく壁に押しつけられた。
「いった……」
反射的に閉じてしまった瞼を開けると、すぐ近くに村越の顔があった。
真剣な顔だった。
「大人をからかうな」
ずるい、とジーノは思った。
大人だとか子供だとか、そんなつまらない理論を持ち出すのはずるい。
けど、真面目な顔でそんなふうに言われたら、素直に従ってみたい気持ちにもなる。
そして間近にある真剣な瞳を、とてもきれいだと思った。
「からかうんじゃなかったらいいの?」
視線を真っ直ぐに受け止めて、ジーノは言葉を紡ぐ。
「真面目に好きだって言ったら、コッシー、ボクと付き合ってくれる?」
村越は居心地悪そうに身じろぎした。
そんな態度も、また、ずるい。
だから目をそらした瞬間に、唇に噛みついた。
柔らかい肉が歯にめりこむ感触に、一瞬の恍惚を感じる。
それからすぐに後ろ手に解錠し、自分の体で村越をどかすようにして扉を開け、個室の外に滑り出る。
「ずるいね、コッシー」
ジーノはそれだけ言い残すと、走ってその場をあとにした。
短いスカートを揺らしながら駆けだす。
まったく彼ときたらなんたる卑怯、なんたる無自覚なのだろう!
怒りよりも先に可笑しさがこみあげて、ジーノは口許を緩めた。
年若く好奇心の塊みたいなジーノは、まだまだ彼を好きでいるのをやめられそうになかった。







2010/6/27の日記より、女子高生ジーノふたたび。